施設の歴史

2000年頃までの当施設の歩みについて、以下に旧ウェブサイトより移植した記事を掲載します。

 東北大学医学部附属動物実験施設は昭和47年(1972年)に文部省から認可をうけて出発した。関係者の並々ならぬご努力により昭和57年には中央飼育実験棟の竣工をはじめ、施設設備のいっそうの充実、時代の要請に応えた管理運営を行ってきた。ここにこれまでの歴史を記し、これからの新しい時代の糧としたい。

1.東北大学動物実験施設設立に向けて

 動物実験は医学部においては遥か以前から行われており、この間に動物実験の改善のために様々な努力がなされており、それが昭和47年の動物実験施設の認可および昭和57年の中央飼育実験棟の竣工に結びついた。この間の経緯は初代施設長である石田名香雄先生が附属動物実験施設年報(創刊号、昭和63年)に掲載した「医学部附属動物実験施設-30年のあゆみ-」に詳しいので、要旨を掲載しておく。
 「1951年、わが国に実験動物研究会が結成され、各大学に実験動物施設を設立する機運が醸成された。東北大学でも医学部細菌学教室を中心に、解剖、桂外科、産婦人科、農学部畜産などの諸有志が相はかって研究会をしばしば開き、どの様な施設を設立するか議論された。しかし容易には予算がつかず、1958年になりようやく医学部衛生学教室の別棟鉄筋コンクリート2階建ての実習室に実験動物室が完成した。1960年には第2期工事も完成し、飼育室3室に洗浄消毒室、機械室、飼料庫、所員室、シャワー室を備えた実験動物室が完成した。1960年4月には年産4万匹以上のHVJフリーマウスを全学に供給できるようになった。
 1961年4月には医学部・農学部の動きとは全く別に旧抗酸菌病研究所研究棟(現、厚生病院旧病棟)の屋上に腫瘍研究を主体にした動物実験室が設置され、ここで我が国で始めて癌の化学療法の研究が清潔な恒温恒湿の場所で行われるようになった。
 1968年に東北大学実験動物センター構想の第一次案が細菌学教室を中心に纏められ、関係者に配布された。当時の状況は、附属病院に於いて動物は各科、研究室単位で研究室の一部を利用して、あるいは屋外の動物小屋で飼育されており、騒音や悪臭が強く、患者はもとより付近の住民からも苦情が絶えなかった。加えて日本動物福祉協会からも頻回にわたって抗議を受け、社会問題にまで発展する兆しがあった。

槇 哲夫名誉教授談
 学部長をしている頃かもしれないが、英国の動物愛護協会のご婦人たちが、日本の大学の動物実験の状況を視察するために来日し、仙台を訪れたことがあった。各教室の動物小屋(昔はそう呼んでいた)や実験室を見て回ったが、動物の扱いの粗末さをあれこれ指摘され、大いに閉口した記憶がある。

 その頃(1968)たまたま臨床研究棟建築計画が進められていたことから、施設部から葛西教授に『計画中の臨床研究棟に動物実験センターの附置を考えてみてはどうか』との助言があり、時間的に見て困難な条件下にはあったが臨床棟動物実験室設置準備委員会が発足し、1969年度の概算要求として提出した。一方、文部省では医学部附属動物実験施設構想を検討しており、この臨床研究棟動物実験センター概算要求と東北大学実験動物センターの全体計画との関係の説明を文部省から求められた。
 こうした経緯をうけて1968年8月および1970年6月には『動物センターについて』と題した小冊子及び動物センターの全体計画構想の説明書をつくり、各研究室に配付する一方、1970年7月11日には、『北四地区実験動物施設連絡会議』が開催され、東北大学動物実験センター設立委員会を農学部、歯学部、医学部、抗研の関係者により発足させ、検討の結果現在の様な動物実験施設の基盤ができあがった。我々はこれを『東北大型』と称し、当時『東大型』と対比して誇りにした。この結果1970年10月には臨床研究棟動物実験センター実験観察部門が新設臨床研究棟12階に開設された。しかしまた、この事が後に医学部全体の動物実験施設設置あるいは運営に難題を残す事になった。

2.東北大学医学部附属動物実験施設の完成

 医学部が中心になり農学部、歯学部、抗研の有志により進められていた「北四地区動物実験施設連絡会議」(前述)は1966年に第1回が開催され、1972年6月14日までに8回開催され、メディカルセンター動物実験施設構想の全体像をまとめた。その内容は生産供給部門、中動物実験部門(臨床動物実験センター)、霊長類飼育実験部門、小動物飼育実験部門、腫瘍実験部門をや置き、それぞれの部局で最も利用度の高い部門を部局から近い場所に設置し、小動物飼育実験部門と生産供給部門の2つを中央棟に設けここをheadquarterとして運営する構想であった。
 一方、東京大学の施設認可(1971)に引続き、その翌年(1972年)には「東北大学医学部附属動物実験施設」が文部省から認可をうけた。しかし施設は認められても文部省の方針である「1キャンパス1施設」の方針は堅く、東北大学メディカルセンター動物実験施設構想が考えた分散方式とは折合わず、数え切れない文部省まいりにもかかわらず、施設整備計画は進まず学内調整も難航した。
 1974年4月16日施設専任教官として信永助教授を迎え、無菌動物、ヌードマウスの飼育、実験動物のSPF化や動物実験技術などを持ち込み、医学部に新風を吹き込むとともに、新設棟の新築についても多くのアイデアを盛り込んで計画したが、概算要求の空振りは相変わらず続いた。それに加えて1979年に突如抗酸菌研究所(現、加齢研)の腫瘍実験動物部門棟750平方メートルが予算化されてしまったため、臨床棟12階の動物実験施設部門とこの腫瘍部門という二つのbranchをどのように位置付けるかで、北四地区各部局間の調整はますます困難になるとともに、文部省国際局情報図書館課の了解の得られる対応ができず長い苦慮の年月が続いた。
 結局、生産供給部門、霊長類飼育実験部門、小動物実験部門を中央棟に設けるべく各部局と合意の上構想の変更を行い、種々問題はあったが概算要求にまで漕ぎ付けた。そして1982年7年に待望の施設中央棟が竣工し、1983年3月開所式を開催する運びとなった。延総面積は5289平方メートルで地下1階、地上7階の大構想で、各界から大きな関心を持たれ、開所までの見学者が国内諸施設、研究所、大学等から計100名を越えた。3月の開所式には学内者105名、学外者82名の参加を頂いて開催する事ができ、これで長年の願いがともかくかなえられたと云う喜びでいっぱいであった。
 そして文部省の一本化を求めに応じ、臨床棟12階の動物実験施設部門と抗酸菌研究所の腫瘍実験動物部門棟を動物実験施設の分室としこれらを合わせ東北大学医学部附属動物実験とした。この結果組織機構図上の問題は一応なくなることになった。

3.東北大学医学部附属動物実験施設の運営

 中央飼育室実験棟の運営に当たっては数々の苦労をともなった。この間の事情を前施設長であり初代の専任教授である信永利馬先生の記録から抜粋した(『附属動物実験施設年報』、増刊号、昭和63年)。
 「施設の特徴としては微生物学的にクリーン域、セミクリーン域、コンベ域の3段階に明確に区分した。クリーン域は病原体を入れてはいけないバリアシステムの区域(出入りの厳しい区域)で、セミクリーンは実験のしやすさを考え、管理をややゆるめにするが、病原体の進入を極力阻止できるように計画された区域である。なおこの地域には封じ込め危険度1~3の感染実験域が設けられている。
 コンベ域は例えばSPF化の困難なイヌやブタ等や、またはラット、マウスも実験の種類によってはSPF状態で飼育できない(減菌できない生物材料を接種する実験など)動物を飼育し実験する区域である。さらにこの域にはサル、イヌ、ネコの検疫室を設けてある。なお環境保全のためにこの施設棟内の空気は高性能フィルターを通じて排出され、死体、動物飼育にともなう汚物等は棟内で焼却するための焼却炉が設置されている。
 省エネのため(1)全熱交換器による室内の熱の再利用、(2)夏冬の室内排気位置の高低による熱ロスの抑制、(3)オートクレープの蒸気熱の再利用、(4)冷凍機からの高温水の利用、を行っている。
 しかしながら、1985年にはマウスを中心にしたマウスポックスの誤診騒動やHIJ等の感染病の蔓延事故が、また1987年にはヌードマウスを中心としたMHVの蔓延事故があり、多数の実験中の動物を処分した。この事は施設管理の難しさと感染病の発生は実験の大きな障害につながる事を教訓として残した。
 なお時代は逆行するが、1975年~1979年には流行性出血熱(HFRS)の流行が臨床研究棟を中心に我が国の実験動物界としては始めて経験した。また1977年5月16日には宮城県沖地震が発生し、実験動物関係にもかなりの被害があったがこれらの件に関しては参考資料に譲りたい。

4.「東北大学における動物実験に関する指針」の制定

 中央飼育実験棟が完成して以降の動物実験をめぐる変化としては、昭和63年3月に学長裁定として「東北大学における動物実験に関する指針」の制定がある。これは前年の文部省通知により全国の大学で制定されたものであるが、これにより大学における動物実験の一応の基準が示されたことになり、画期的なことである。このときの状況を当時の京極方久施設長の文章から引用してみよう(『附属動物実験施設年報』、第2号、平成元年)。
 「動物実験をめぐる最近の動きは、複雑多岐にわたっている。日本では激動の昭和は終わったが、動物実験の世界では、平静ならざる平成がつづく。国際的には、諸ジャーナルの投稿規程やレフェリーによる、動物実験の方法論にまで立ち入って動物福祉面からの制限の強化である。それが理由のrejectionが増えつつあるという。これに対応してわが国でも動物実験指針が学術会議・実験動物学会、文部省学術国際局の肝入りで策定され、わが東北大学でも、昨年4月に全学的ものが制定された。抗研についで医学部と附属病院でも、別稿の如く動物実験は届け出制となり、目下多数の研究計画書が動物実験委員会の机上に積み上げられつつある。これは決して研究を規制するものではなく、上記の如き国際的な流れに則して、自らを正すためのものであることを御理解願いたい。新体制による動物実験は平成元年(1989年)4月11日よりスタートする。」
 なお、平成8年3月には東北大学動物実験委員会委員長等会議より本部事務局研究協力課のご協力の下に「東北大学における動物実験に関する指針」の解説が出版され、全学の動物実験における具体的な「適正」化の方法を指し示した。

5.施設専任教授職が認可

 平成3年には待望の施設専任教授職が認可された。そして4月に信永助教授が初代の専任教授として昇任した。そして平成4年4月には京極教授の後を受けて施設長に就任した。信永教授は昭和49年4月に助教授として当施設に赴任され、以来通算20年間施設の実質的な責任者として施設の管理運営に当たられ、現在の施設の基礎を築いた。平成6年に3月に退官された。
 平成6年4月には北海道大学から笠井憲雪教授が赴任し、同時に施設長に就任した。第二世代の施設がスタートしたのである。世代交代と共に実験動物の世界でもイヌの大幅な減少とトランスジェニック動物の登場という変化の波が起こっている。現在ではトランスジェニックマウスの飼育がかなりの数に達している。これからは施設も新しい時代にふさわしい動物実験施設のあり方を模索し、研究者のニーズに応えていかなければならない、と言う決意を新たにしている。

著:笠井憲雪(第五代施設長・東北大学名誉教授)


参考資料

1. 石田名香雄、東北大学純系動物飼育施設のあゆみ、実験動物11(1)、10~16、1962
2. 医学部、歯学部、薬学部、農学部、抗酸菌病研究所による東北大学動物実験センター
構想検討委員会(北四地区実験動物施設連絡会議を改称。発足1966、第8回までの記録がある)代表、石田名香雄(医学部細菌学)報告書「東北大学動物センターについて」、1968、1970
3. 東北大学医学部附属病院、動物実験施設設置準備委員会(代表 葛西森夫教授)附属病院動物実験施設設置委員会記録、1969
4. 臨床研究棟12階動物実験室運営委員長葛西森夫教授、附属病院イヌ飼育設備寄贈に関する日本動物福祉協会との協定書、1971
5. 東北大学動物実験センター構想検討委員会(代表 石田名香夫教授)「東北大学メディカルセンター、動物実験施設 その構想とマスタープラン」俗称黄色表紙、1972
6. 東北大学医学部附属動物実験施設施設長石田名香雄教授、東北大学医学部附属動物実験施設、1983、1988(改定)
7. 施設長星野文彦教授、国立大学医学部附属動物実験施設協議会第9回総会資料、1983
8. 信永利馬教授、地震対策、東北大学医学部動物実験施設、ラボラトリーアニマル、4(3)26-28、1987
9. 石田名香雄、星野文彦、京極方久、渡辺民朗、信永利馬等の執筆部分、東北大学医学部附属動物実験施設年報、創刊号(1988)、第2号(1989)、第3号(1990)、第4号(1991)、第5号(1992)、第6号(1993)、第7号(1994)