遺伝子組換え動物の管理と組換えDNA実験指針

山梨大学総合分析実験センター

手塚英夫

 現代のバイオテクノロジーには、遺伝子組換えと細胞融合という、ふたつの革新的な生命操作技術がある。革新的とは、自然界ではあり得ないか、またはあり得ても非常に時間がかかる遺伝子変化を、人為的な操作により非常に短時間かつ効率的に生じさせるという意味である。これらの技術の対象は、微生物や培養細胞に始まり、個体としての動物あるいは植物に及ぶ。その成果として、遺伝子組換え技術は遺伝子組換え生物、細胞融合技術は例えばクローン生物を生み出している。遺伝子組換え生物とクローン生物は、 後述するLiving Modified Organism (以下「LMO」と略記。和訳は「改変された生物」。) に含まれる。

 遺伝子組換え技術については、すでに基礎研究から産業応用まで、生命がかかわる非常に広いライフサイエンス分野に革命的な発展をもたらしている。この技術を用いた組換えDNA実験、特に動物を用いる実験は、「生理機能モデル」、「疾患モデル」の役割を担う場合があるため、成果のヒトへの応用を考える上で社会的、倫理的にも重要な役割を担っている。細胞融合技術についても、様々な分野での適用と発展が期待されている。

 これらの生命操作技術は、確かに革新的ではあるが、それが種を越えて実施される場合には、前述した通り、自然界ではあり得ない現象のために、もし成果としてのLMOが自然界の中に放出された場合には、生態系やヒトの健康に対する影響が未知の部分があり、その故に、安全性に対する不安と懸念の感情を、一般市民の心の中に惹起する。これは、何も国内に限ったことではなく、海外でも同じである。

この点より、LMOの環境中への意図的な放出・拡散による生物多様性に与える影響を考慮して、関係各国が国際的な視点に立って締結した条約が「生物多様性に関する条約」である(我が国は平成5年批准。)。条約第8条では、13項目中のg項でヒトの健康に対する危険を考慮すべきとしている。条約第19条3項では、特に環境中における生物の多様性に悪影響(ヒト健康への影響も含む)を与える可能性のあるLMOの移送、取扱及び利用の手順について定めることとされており、この規定に基づいて、「バイオセーフティに関するカルタヘナ議定書」が、平成12年1月に採択され、平成15年9月に発効した。因みに、この議定書第3条には、前述した「改変された生物 (LMO)」や「現代のバイオテクノロジー」、「生物」等について定義している。

 我が国は、小泉総理が平成14年夏の地球環境サミットに向けて発表した「小泉構想」において、地球規模の共有を目指し、「持続可能な開発」を基本姿勢とする立場よりカルタヘナ議定書の早期締結を表明した。この議定書締結にさきだち必要な国内法を整備するため、「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」(以下「法律」という。)を制定、平成15年6月法律第97号として公布した。

 法律は、先に述べたLMOの、特に非閉鎖系での国際的な使用等(即ち輸出入を含め、国境を越えての環境への意図的な放出を目的とするものの使用等)を規制するものであるが、国内の実験室等、閉鎖系における使用も、生物の多様性に影響を与えないよう拡散防止規制を受けることとなる。この法律の下に、現行の組換えDNA実験指針(以下「指針」という。)は近い将来廃止され、これまでの指針内容は必要な検討を経て法制化される。この指針法制化については、非閉鎖系と閉鎖系に分けて法律施行規則等が公開され、パブリックコメントが募集されている。寄せられた意見の検討を経た後、省令として策定される (平成16年1月頃の予定)。こうして法律施行のための政省令の整備等がなされた後、我が国においても議定書がほぼ同時期に締結される見込みである。 

 このような法律制定や政省令の整備は、政府の基本政策に沿ってなされるものであるが、その政策の一つ「バイオテクノロジー戦略大綱」(平成14年12月策定、首相官邸HP掲載)には、「いかに優れた技術であっても、安全の確保と国民からの信頼なくしては、産業化・実用化もおぼつかない」との視点から、 三つの大きな戦略として、 遺伝子組換えを中心としたバイオテクノロジーに関する「研究開発の圧倒的充実」、「産業化プロセスの抜本的強化」をはかりつつ、「国民への理解を徹底的に浸透」させることが述べられており、このことによって、遺伝子組換え生物を含めた現代のバイオテクノロジーの成果に対する国民の理解と支持を得て、社会的合意の形成がなされるよう期待されている。

 組換えDNA実験を行う主体は、大学等の実験実施機関の場合には、研究者である。 研究者は、実験責任者として、自らの研究を発展させるとともに、その実験が社会的合意を得られるものでなければならないことに留意すべきである。動物を宿主として組換えDNA実験を行う場合、内容により、大臣確認実験、機関承認実験、機関届出実験の3種類がある。社会的合意を得るためには、このような実験の種類に応じて必要な手続を踏まなければならない。その手続とは、実験開始に際して書面により必要な申請を行うことである。 動物を材料として用いる実験であるため、実験実施機関の動物実験委員会に動物実験計画書を提出することはもちろんであるが、 同時に組換えDNA実験であるため、組換えDNA実験安全委員会に提出すべき書類がある。例えば機関承認実験の場合には、 (i)研究者による実験内容の組換えDNA実験計画書としての申請、(ii)組換えDNA実験安全委員会による審査、(iii)それを受けての実験実施機関の長による承認、 (iv)研究者による承認後の実験の遂行と実験終了後の結果報告、(v)さらには得られた成果を学会発表や学術雑誌への論文投稿という形で社会に還元する、という一連の過程である。(i)- (iv)までは規制を受け、必ず実施しなければならないが、(v)は研究者の意志による。しかし、これも社会的合意形成のためには必須のものである。動物実験施設管理者は、これらの一連の過程が的確かつ円滑に実施されるよう、実験実施機関の組換えDNA実験安全委員会や安全主任者とよく連携して、実験実施体制及び設備を整備する必要がある。

 法律の対象となるLMOは、遺伝子組み換え技術により作出された動物を含んでいるが、 そのLMOの取扱については、 法律に定義される第1種使用、即ち「意図的な環境放出を伴う」非閉鎖系の場合と第2種使用、即ち「封じ込めの下での利用」となる閉鎖系の場合がある。第1種使用の例は、除草剤や害虫に対する抵抗性を付与した食用農作物、環境浄化または環境改善用微生物、害虫駆除用微生物であり、動物の場合は動物用生ワクチン等であり、大学等では、次に述べる第2種使用の場合に比較して、まだ少ないと思われる。

 大学等の動物実験施設における組換えDNA実験は、法律では第2種使用の閉鎖系に該当すると考えられ、 拡散防止措置、即ち封じ込めにより組換え動物等の LMOが実験区域外に逃亡することを「意図的に防止」する封じ込め措置が不可欠である。具体的な封じ込め法としては、 組み換え動物の飼育時等における個体識別や逃亡防止、運搬時における運搬箱の規格や標識、 LMOを説明する文書添付等を含め、適切な施設・設備等を用いた物理的封じ込めとLMOの生物学的特性を利用した生物学的封じ込めの二つの方法の組み合わせによることとなる。これに加えて事故時の応急措置と報告義務が課題であると思われる。

 組換えDNA実験の対象となる宿主に動物が用いられる場合の安全度分類は、指針の表Dに、 一覧表形式で整理されており、組換えDNAを運ぶベクターとDNA供与体として用いられる生物の種類の組み合わせにより、大臣確認実験とP2-P3までの機関承認実験とにわかりやすく区分されている。また機関届出実験は、この表D注9にあるように、機関の長に対して予め系統認定申請を行い、他生物に自立移行せず、安定で安全な形質を持つなどの条件をクリアーしていることについての認定を受けてから、届け出ることになる。 

 動物を用いる実験については、指針の表Dより、通常P2として申請されることが多いと思われる。しかしながら実際の動物を用いる実験においては、遺伝子ノックアウト動物、トランスジェニック動物の場合、ほとんどは同定済みDNAを導入しており、かつ遺伝子の機能が既知又は推定可能な場合が多いことを考えると、その旨を組換えDNA実験計画書に記載して組換えDNA実験安全委員会による審査を必ず経なければならないが、その上での封じ込めのレベルダウンが可能と思われる。レベルダウン効果は、廃棄処理の軽減や、排気HEPAフィルター濾過装置設置の必要性がないなど、飼育管理が容易になり、経費節減も期待される。このように、実験のレベルダウンを含め、実際に実施される実験の内容を詳細に検討して、申請書・承認書の内容と実際の実験現場の一致を図るということが大切であり、特に指針が法制化された際には遵守すべきであろう。

 なお、この場合注意しなければならないことは、生きている個体(組換え動物及び組換え体が接種された動物の両方)の場合、例えばP1と承認されたとしても、組換えDNA実験計画書の封じ込めの欄に記載され、「組換えDNA実験指針」の解説でも述べられているように、同時に「その他」としての取扱いが必要である。その意味は、動物の取扱いについては微生物学的に通常の実験室レベルで大丈夫であっても、生きている個体を逃亡させてはならず、この点は厳格に守られなければならないということである。

 繰り返しになるが、指針法制化の場合に予想される注意すべき点として、 組換えDNA実験計画書記載の申請内容と実際の実験内容について、以前にもましてきっちりとした一致を図る必要があることがあげられよう。合法性のため、無届けや記載漏れ、誤った記述があってはならないと考えられるからである。

 参考文献

  1. 組換えDNA実験指針(平成14年1月31日文部科学省告示第5号)

 2) 「組換えDNA実験指針」の解説--文部科学省<生命倫理・安全に対する取組>ホームページ

 3) 平成14年1月31日文部科学省研究振興局長通知「組換えDNA実験の改訂について」

 4) 文部科学省 科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会 試験研究における組換え生物の取扱いに関する小委員会報告---バイオセーフティに関するカルタヘナ議定書への対応「試験研究における組換え生物の取扱いについて」---文部科学省<生命倫理・安全に対する取組ホームページ>

戻る