特別講演3:

遺伝子治療:21世紀医学の夢 - 試行を積み上げて実効性を追求する

                           貫和 敏博

(東北大学加齢医学研究所呼吸器腫瘍研究分野)

遺伝子治療は組み換えDNA技術の延長線上:

 20世紀半、1953年二重ラセン構造DNAの解明は情報担体としてのDNA研究の流れを生んだ。DNA polymerase、制限酵素、DNA ligase、genetic code等の発見の上に1973年recombinant DNA技術の発明がなされた。この技術により人類は生物の膨大な情報に直接アクセスすることが可能となり、その後の生物学研究の爆発的革命をもたらし21世紀へ引き継がれようとしている。この技術の安全性はrecombinant DNA advisory committee (RAC) による議論をへて定着していったが、遺伝子発現技術の医学応用への動きに対し、1980年代半よりRAC subcommitteeで議論がなされた。その結果、_ somatic gene therapy (生殖細胞には影響を及ぼさない)_ replication incompetent vector(遺伝子導入に使用するvirus等のvectorが自己増殖不能である安全機構)の条件のもとに、1989年遺伝子マーキング、1990年ADA欠乏症への遺伝子治療が開始された。

遺伝子治療の実際−肺癌遺伝子治療を例に:

 遺伝子導入の方法はin vivo遺伝子治療とex vivo遺伝子治療に分かれる。現在、非小細胞肺癌(肺癌は非小細胞肺癌 [腺癌、扁平上皮癌、大細胞癌] と小細胞肺癌 [神経内分泌細胞の性質を持つ] に分けられ、後者は薬剤・放射線感受性があるが、前者は難治で治療成績が停滞している)に対して、in vivo遺伝子治療の臨床試験がなされている。癌遺伝子異常研究の進歩で、悪性化に深く関与する癌抑制遺伝子p53異常が、多くの固型腫瘍で見出された(非小細胞肺癌において約50%の異常)。従って正常p53遺伝子を腫瘍細胞に導入することによる細胞周期停止と細胞死誘導が治療理念として期待される。p53遺伝子は発現効率のいいadenovirus vectorを用いてin vivoで腫瘍に注入し、一方において、抗癌剤シスプラチンとの併用効果をみる第I相臨床試験が米国テキサス州MD Anderson Cancer Centerを中心に施行され、次いで日本では1999年より岡山大学、さらに他3大学も試験施設に加え進められている。既に報告された米国の成績ではPR(50%以上の腫瘍減少)が8%、SD(50%未満の減少、25%以内の増大)が約60%と報告されている。日本では米国臨床試験の高ウイルス投与量域(109〜1011 PFU)24例で試験が進められている。

固型癌遺伝子治療の考え方と遺伝子治療方法論の展開:

 癌遺伝子治療は局所効果を求める方法と全身的効果を求める方法とがある。p53遺伝子治療は局所効果を求めるものであるが、肺癌は多臓器転移が顕著で、手術切除成功例でもmicrometastasis の制御が出来ず、例えば術後病理検査で縦隔リンパ節に播種のある場合5年生存は6人に1人という状況である。Systemicな治療効果のためには、癌細胞のみならず、癌細胞の組織形成を監視し、一方で組織形成に巻き込まれる宿主の細胞をtargetとする方法が考えられている。前者は腫瘍免疫の増強であり、技術的に可能になった樹状細胞のようなAPC(antigen presenting cell)による腫瘍抗原発現によるeffecter cell誘導の開発が進んでいる。他方、腫瘍組織形成に影響する血管新生を制御するための遺伝子導入の試みも盛んである。また固形腫瘍にvirusを注入する場合、腫瘍全体への導入効率を向上させる目的で部分的replication competent(E1B欠損アデノウィルス、ONYX-015)の試みも注目される。さらにプロモーター選択的E1A発現が、抗腫瘍作用と共にreplication incompetent virus併用による高効率遺伝子発現など新たな展開を可能としている。

遺伝子治療のnegative/positiveな側面と今後:

 1990年にはじまった遺伝子治療は安全性の面ではまだ全く実験医療である。しかし実績として3000人以上の人が臨床試験に組み込まれ、安全性に対する過信がうまれていた1999年9月ペンシルベニア大学で肝酵素OTC(ornithine transcarbamylase)欠損に対するアデノウィルス遺伝子治療で18才高校生の死亡事故が起こった。この事件は副作用報告提出義務の強化と共に、virus vector開発ベンチャー企業と、臨床試験施設、責任医師の間の利害契約の存在が問題視されており、現在米国でNIHのOHRP(Office for Human Research Protections)を中心に規制強化への動きがある。

 他方、2000年に入りX-SCIDに対するγc鎖導入、血友病Bに対するAAV virusの活用、また頭頸部癌に対するONYX-015とシスプラチン併用などで遺伝子治療が有効との成績が出始めている。ことにX-SCIDは従来型のretrovirusを使いながらも、共通γ鎖の導入が広く血球分化のサイトカイン・ネットワークに影響を及ぼし治療効果が出現するので、十分な臨床病態の理解の上に遺伝子治療の方法論を選ぶべきであるという動きが始まっている。また患者数が多い生活習慣病のひとつである虚血性心血管疾患に対するVEGF、HGFを用いた遺伝子治療が臨床試験されている。こうした新たな遺伝子導入適応拡大は、本方法が広く社会に認知され、それが新たな方法論の展開を呼ぶものと期待される。

遺伝子治療臨床試験に至るまでには、動物を使っての前臨床試験が繰り返される。しかし動物で効果があっても、ヒトでの効果が見られないものがほとんどである。Humans are not simply large miceと言われている。まだまだ多くの試行を繰り返しながら、21世紀の中心的治療法への発展が期待される。

[略歴]

昭和48年 9月:東京大学医学部医学科卒業

昭和53年 6月:自治医科大学呼吸器内科(昭和57年同講師)

昭和58年12月:National Institutes of Health 留学

(National Heart, Lung, and Blood Institute; Pulmonary Branch, Dr. Ronald G Crystal)

昭和63年 1月:順天堂大学呼吸器内科学教室助教授

平成 5 年 3月:東北大学抗酸菌病研究所内科部門教授

平成 5 年 4月:東北大学加齢医学研究所腫瘍制御研究部門呼吸器腫瘍研究分野教授

平成12年10月:東北大学医学部附属病院 遺伝子・呼吸器内科科長併任

学会賞:

平成 4年 5月:日本呼吸器学会熊谷賞

学会活動その他:

日本呼吸器学会理事

日本肺癌学会理事

日本癌学会評議員

日本遺伝子治療学会評議員

日本臨床分子医学会評議員

Editorial Board of American Journal of Physiology (94.7 - 99.6)

Editorial Board of American Journal of Respiratory Cell and Molecular Biology (98.7 - )

癌遺伝子治療関連文献

1) Inoue A, Narumi K, Matsubara N, Sugawara S, Saijo Y, Satoh K, Nukiwa T, Administration of wild-type p53 adenoviral vector synergistically enhance the cytotoxicity of anti-cancer drugs in human lung cancer cells irrespective of the status of p53 gene. Cancer Lett 157: 105-112, 2000

2) Tanaka M, Saijo Y, Sato G, Suzuki T, Tazawa R, Satoh K, Nukiwa T. Induction of antitumor immunity by combined immunogene therapy using IL-2 and IL-12 in low antigenic Lewis lung carcinoma. Cancer Gene Therapy, in press.

 

研究の方向性:肺のdefense mechanism研究に肺の炎症・腫瘍治療の鍵がある

 肺という臓器は、医学では感染症の場として古くから中心的研究分野であった。抗生物質の進歩と共に、炎症加齢肺の肺気腫、肺線維症の呼吸生理機能に研究が進んだ。しかし分子生物学知見の蓄積される中、肺という臓器の意義を再認識する必要がある。現在難治である肺癌や肺線維症の臨床のみを見るのではなく、こうした近代社会が生み出した自然界ではみられない疾病が、長い進化時間に構築された肺の防御機構といかなる関連にあるのかを知る必要がある。消化管と異なり、下気道は細菌がいない環境であり、好中球が第一線防御の意義をもつ。また気道上皮細胞は高酸素で病原性物質の多い外環境に接し、傷害に受けても容易にapoptosisに陥らない性質を持つ。こうした肺の基礎防御機構研究に立ち戻ることが、肺癌や、肺線維症、耐性菌感染症の治療法開発に役立つと考えている。